特別企画7
循環器タイムトラベルフォーラム 「久山町研究」
児玉 和久(大阪警察病院/尼崎中央病院)
平山 篤志(日本大学医学部内科学系 循環器内科学分野)
循環器タイムトラベルフォーラムは、「温故知新」を旨にこれまで先人が築きあげられてきた業績を引き継ぎそして、次の世代に受け継いでゆくかをテーマに開催されてきた。今回は、我が国の誇る疫学研究である久山町研究を取り上げてその創設から発展へ、どのような信念で仕事が行われたかを知る貴重な機会である。疫学研究といえば、1948年に開始されたFramingham研究が最初であるが、これは感染症で用いられていた疫学的手法を虚血背心疾患という生活習慣病に持ち込んだ点で画期的であった。この研究によって虚血性心疾患の危険因子という概念が生まれたのである。久山町研究は、Framingham研究に遅れること13年の1961年に日本人の脳卒中の実態調査を目的として行われた疫学研究である。当時脳卒中の死因が日本人で他国に比して非常に多いという事実は、EVIDENCEのないものとされていた。そこで、福岡市に隣接する久山町での実態調査が開始されたのである。現在、臨床研究が注目されEVIDENCEということが常識になっている。しかし、その当時は医師の経験の豊富さが臨床的な評価であり、EVIDECEという概念すら多くの医師にはなかった。現在では、EVIDECEを構築するための多くの登録研究が行われるようになり、多くの医師が登録研究に参加することに抵抗がないと思われる。しかし、半世紀前はどうであったろう?おそらく、多くの医師が無関心であったと思われる。その時代に疫学調査をするのは、参加する医師に情熱がなければできないし、また、疫学調査に協力する住民の負担も大きかったであろう。Framingham研究を主宰した一人であるKannel博士は、Framingham研究が成功したのは、参加した医師だけでなく住民の多大な協力が得られたからであると語っている。半世紀前の臨床研究の意識が高くない時代に、如何にして久山町研究がはじめられどのように住民の協力を得てそして、今日に至るまで多くの日本人に関するデータを築きあげてこれたのか、久山町研究に携わってこられた尾前照雄先生と清原裕先生のお二人のタイムトラベルを聞いていただき、この半世紀の歴史を振り返り、今後我々は何をすべきかを考えていただく機会になれば幸いである。